次の一連の文の最初の4節は、1988年(パソコン通信をはじめて約1年)〜1989年に、サイエンスネット(朝日新聞科学部運営)に書き込んだものです。いちばん最後の節は、1992年のPC-VANのSIG「化学とコンピュータ」4周年記念文集に寄稿したものです。 議 題 : フリートーク(Free.Sci) 発言番号 : 96 関連発言 : 1 題 名 : あるネットワーカーの一日 [基調発言](ベースノート) 筆 者 : sci1089 作成日時 : 12:13 am Aug 29, 1988 N氏のネットワーカー・ライフ  以下は、199X年のありふれたネットワーカーの一日を描いたものです。 まじめな話が好きなひとは次に進んで下さい。 ("L"で読んでいても、"J"で次に飛べば、見ずにすみます。) (以下はフィクションであり、登場する個人、団体、機関等は全て架空のものです。) 1.朝、自宅で  朝。N氏は、朝食を取りながらASAHI−NETの流すニュースの見出しを眺める のを習慣にしている。TVと違って、読むニュースを自分で選べるのが特徴である。N 氏の場合は、ランク5以上のすべての記事と、職業柄関心の深い科学関係、化学産業関 係、そしてスポーツ関係の記事の見出しを表示させるように設定している。見出しを見 て関心を持ったら、カーソルをその見出しに合わせてマウスのボタンを押せば、記事の 内容が表示される。今日は、大したことは起こっていない。おや、「K化学、南米に新 工場建設」だと?財テクで投資している会社の動向を告げる見出しを見つけたN氏は、 「ダウンロード」キーを押した。これで、記事の中身はフロッピー・ディスクにそっく りコピーされ、保存される。出勤時の車内で詳しく読むつもりで、N氏はさらに幾つか の記事をコピーした。  「あなたあてに若くて美しい女性からメイルが届いてるわよ。」隣でYUBIN− NETに届いたメイルを整理していた妻が、ニヤニヤしながら言った。 「女性はともかく、なんで若くて美しいことまでわかるんだ?」とお決まりの質問でや り返す。 「だって、「若くて美しいS子より」ってなってるわよ。」どうせそんなことだろうと 思った。 「どうせ親展にはなってないだろう?開けてびっくり、K社の原稿の催促さ。あそこの 編集は、飽きもせずにこの手の古くさいいたずらをやるんだから。みていいよ。」  YUBIN−NETは、メイル中心のネットである。メイルは全世界ネットであるが、 BBSは区市町村毎に設定されていて、地方自治体や町内会、地域サークルの連絡など、 地域内のコミュニケーションを対象としてサービスのつもりで付けたらしいが、そこは BBSの常、フリートークのボードがいつも盛況らしい。ここの特徴は、ファミリーI Dと何段階ものセキュリティーシステムである。ファミリーIDは、個人ではなく家庭 毎に1つのIDを登録できるようにすることで、固定使用料の軽減をはかるものである 。ファミリー・パスワードの他に、2人以上10人までのハンドル名とこれに対応する パスワードを、個人IDのわずか10%増しの料金で登録できる。16歳になる娘など、 男名と女名の2つのハンドルを登録して、言葉遣いまで使い分けている。おかげで、た いていの人はわが家には息子が2人いると思っているらしい。個人パスワードは、親展な どセキュリティーの保持のために使う。  親展は2番目に低いセキュリティーレベルで、個人パスワードを入力しさえすればす ぐに読みだせる。一番高いレベルは確かシークレットボックスと呼ばれていて、特別の パスワードを入力しないとメイルの存在すらわからない。しかも、暗号で入力されてい て、特別のキーワードを入力しないと意味の通る文章にならない。解読結果は、端末の ディスクに直接書き込まれ、ホストのメモリー上にも画面にも残らない。等等、絶対の 機密保持を保証している。非公開の、さらに高レベルのセキュリティーシステムもある という噂である。もちろん、セキュリティー・レベルが高いほど利用料金も高くつく。 もう1つの特徴は、メイルの保管時間が長いほど使用料金が高くなる点である。特に、 保管時間が1日を超えると割高になる。だから、アクセス回数がある程度多い方が使用 料金が安いという奇妙な現象が起こる。旅行などでしばらくアクセスしない時は、メイル 受付停止コマンドを実行しておかないとひどい目に遭う。受付停止といっても、送信側 が希望すれば、安い定額料金で「送信待ち」扱いが可能であり、受付停止が解除される と同時に自動送信してくれる。長い旅行から帰ってきたときなど、次から次へと送られ て来るメイルの洪水に悲鳴を上げることも少なくない。  「やっぱりあなたの言うとおりだわ。あなたみたいに締切を守らない人がいるから、 編集もたいへんなのね。」とあいかわらず手厳しい。 「単行本だぜ、締切はあってないようなものさ。」と逃げる。 「へえ、そういうものなの。ところで、「前著の増刷にともなう印税、過日ご指定の口 座あて振り込みました」って書いてあるけど、あたしそんな話一言も聞いてないわよ。」 しまった、と思ったときはもう遅かった。 「印税が入ったら、新しいコートを買ってくれる約束だったでしょ。どういうこと なの?」 「だっていまはまだ夏だし...」と言って弁解したところで引っ込む相手ではない。 結局、シーズン始めに新しいコートを買うことになってしまった。やはり、自分宛のメ イルは他人に開封させるもんじゃない。    [関連発言](レスポンス) 筆 者 : sci1089 作成日時 : 5:21 pm Sep 18, 1988  2.通勤の車内で  N氏が最寄りの駅から乗った電車はすいていた。 「これも、在宅勤務とフレックスタイムの成果かな。」とN氏はつぶやいた。  席に座ると、やおらカバンの中からラップトップを取り出した。約2kgと軽 いが、フロッピー・ディスクドライブを1台もち、エディター、プリントソフト、 通信ソフト等をROMカードで持っている。OSはもちろん、今や16ビット機 の世界的標準となったXXーDOSがROMカードサポートされている。何しろ、 オフィスや家庭にある32ビット機のOSとテキストもディスクフォーマットも 共通の上に、たいていのコマンドやプログラムも互換性があるのだから便利であ る。この世界の常識に反して、32ビットOSの下位コンパチDOSを敢えて開 発したXX社の大ヒット作である。 N氏は、朝方ダウンロードしたばかりのASAHI−NETの記事を読むこと にした。NETに契約すると、検索、表示機能に優れた読み取りソフトが提供さ れる。これを使えば、ダウンロードした記事の大小の見出しをキーにした高速検 索が容易にできるので、読みたい記事をすばやく捜して表示させることができる。  しばらく記事を読んでいたN氏は、ふと回りを見回した。乗客の約1/3が ラップトップを使っており、もう1/3はプリンター出力とおぼしい書類を見て いる。どこかのニュースネットかマガジンネットの配信サービスを受けているの だろう。高性能プリンターの普及で、活字とほとんど差のない印字が家庭用プリ ンターでも高速で行えるようになったため、ニュースネット各社は、家庭毎に必 要な記事だけを毎朝メイル送信する配信サービスを始めた。タイマー起動するプ リンターソフト(これもニュースネットの提供である)を使えば、朝起きたとき にはきれいに印刷されたニュースが「届いて」いるのである。  残りの1/3は本を読んでいた。いくらコンピューターが発達しても、上質の 紙にきれいに製本された本の軽さと、しおりによるアクセスの速さには勝てない。 というわけで、今なお、本は根強い人気を保っている。ネットワーク化のあおり で、いくつかの出版社はつぶれ、いくつかはネットワーク出版に鞍替えしたが、 大部分はネットワーク出版と本出版の両方をやっている。ネットワークに流した 予告に対する反響や、購読予約の数等を参考にして部数を調整したり、時には出 版形態を本出版からネットワーク出版に、あるいはその逆に切り替えたりなどし て、ある程度まとまった売行きの確保できたものをできるだけ確実に売りさばく ことにより、返本や在庫の山をかかえずに済むようになっているという。そのた め、出版部数は減っているのに昔より値段を下げても利益が増えるという奇妙な 現象が起こっているらしい。  読み捨て型の本が姿を消したことで、本そのものに対するイメージも価値観も 高いものになってきているらしい。出版社に勤めているN氏の知人によれば、本 の地位の「向上」ではなく「回復」だという。「かつて、本は知識の象徴として 高い地位を得ていた。」というのを、その友人は口癖にしていた。「薄利多売に より儲けようという誤った風潮が本の地位をおとしめたのだ。」という。  もう1つ確実なのは、マガジンネットで好評だった連載の単行本出版らしい。  マガジンネットというのは、一昔前の週刊誌のようなものをネットワークサー ビスで実現したものである。ダウンロードした記事の量によって価格が決まる仕 組みになっており、どの記事がどれだけダウンロードされたかがあらゆる面での 評価の基本になるので、各社とも内容の精選と独自性の確立に苦労している。玉 石混交でも売れた週刊誌と違い、人気の程がダウンロード数、従って収入にモロ に現れて来るので、記者、編集者ともに必死である。いち早くネットワーク出版 に切り替えた週刊誌出版社の幾つかが倒産あるいは路線変更のうき目にあったの は、そうした状況下で、方針の切り替えがうまくいかなかった場合がほとんどで ある。  N氏のラップトップが、突然小さなビープ音を立て始めた。窓から外を見ると、 降りる駅の一駅手前である。ソフトの起動と同時にセットされたアラーム機能が 働いたのである。この機能は、各駅毎に発せられる異なる周波数の電波を検知し て作動するしくみになっている。ほとんどの人がするように、N氏は、一つ手前 の駅の周波数に合わせていたのである。 「さて、次か。」N氏はラップトップをしまい、降りる支度を始めた。 [関連発言](レスポンス) 筆 者 : sci1089 作成日時 : 9:11 pm Nov 6, 1988  3.机に向かって  自分の研究室に着き、机に向かうと、N氏は机の上のパソコンのスイッチを入 れた。この32ビットマシンは、朝最初に立ち上がると、まずUNIXホストに アクセスし、メイルボックスからメイルを取って来るようになっている。  メイルボックスには、昨日夜遅くまで仕事をしていたらしい、別の建物の同僚 から1通と、国内のバイオテクノロジー学会のネットから1通、バイオテクノロ ジーの研究連絡用国際ネットから3通、業者から「受注確認」のメイルが1通、 そして経理部からの事務連絡が1通届いていた。  すぐに返事を書く必要のあるものをピックアップしたあと接続を切ると、自動 的にスケジュールプログラムが立ち上がる。今日は、11時半より打ち合せ、3 時より会議である。特に締切の迫った仕事はなし。  次に、ワープロソフトを立ち上げると、同僚への返事と海外からの海外からの メイルの一つへの返事をかいた。  N氏が書いたメイルは、国内のバイオテクノロジー学会のネットから、国際学 術メイル転送サービスのバイオテクノロジー部門を経由して、相手国のネットに 送られる。一方、N氏宛のメイルは、通常、相手国の物理学関係のネットにまず 転送され、そこから同じ国際サービスの物理学部門を経由して、国内の物理学関 係のネットからN氏に送られて来る。もともと物理学を専攻していて、次第次第 にバイオテクノロジーに転進し、現在ではバイオテクノロジー関係のネットワー クを利用する頻度の方が圧倒的に大きいのだが、ネットワークアドレスは変えて いない。  同姓同名かどうかを識別するために、研究者仲間の暗黙のルールで、メイル受 信アドレスは一人が1つに統一するようになっている。変更はもちろんできるの だが、あちこちに変更の通知を出すのを面倒がっているうちに、今日に至ってい るのである。  現在の国際サービスの前身である全米インターネットサービスの時代から、ア メリカ物理学会のネットを経由して各国のバイオテクノロジーネットとコンタク トしていたのである。国際サービスが運営を開始した時がアドレス変更のチャン スだったのだが、あいにく国内でのネットワーク間のメイル転送サービスの整備 が遅れていて、バイオテクノロジーのネットと物理学のネット間で自動メイル転 送ができず、アドレスを変更するといろいろトラブルが予想されたため、思いと どまったのである。当時は、国内のバイオテクノロジー仲間からのメイルが、国 際サービス経由でないと送れず、しばしばひんしゅくを買ったものである。今は、 国内でもログイン・ゲートウエイや自動メイル転送サービスが充実したため、逆 にわざわざ変更するメリットがなくなってしまっている。  書き上げたメイルを発送していると、チャットコールがあった。調べてみると 経理部からだった。メイルが読まれたのを確認し、私がアクセスしているのに気 付いたらしい。さっきのメイルの件だろうが、やけに急いでいる様子だ。請求書 を早く回して欲しいというだけの内容だったが、どうしたのだろう。  どんなに電子メイルが発達しても、この種の書類だけは、郵便で送られたオリ ジナルでないと通用しない。だから、研究室に届いた書類は誰かが経理部に各種 持って以下なくてはならない。また、そのあと行われる各種 の確認あるいは照会のため の操作もすべて手作業である。「安全と確実性」のためだそうだが、事実関係の 確認はすべて人間がコンピューターにアクセスして行っている。請求の確認、支 払いなどわざわざ書類を介する必要はないと思うのだが、彼らはそうは思わない らしい。  しばらくは無視していてもいいが、あいにくこのシステムはこの種のコールや メイル到着のアナウンスがあると、ログアウトコマンドがブロックされる仕組み になっている。そのまま姿をくらますわけにはいかない。端末の電源を切れば強 制ログアウトにはなるが、そうなるとシステム管理部から原因調査が来るので、 かえって後が面倒である。何度も何度も、電源コードを足で引っかけるわけには いかない。  「しかたないか」とつぶやくと、N氏はネットワークを音声モードに切り替え、 付属の受話器を取り、合図のボタンをおした。  「おはようございます。N先生...」 キャリアフィルターを通ってややひずんではいるが、聞き違えようのない経理部 の担当者のかん高い声が受話器から響いてきた。 [関連発言](レスポンス) 筆 者 : sci1089 作成日時 : 12:51 pm Mar 21, 1989  4.出版社からの電話  昼食後のコーヒータイムを過ごしていると電話がなった。外線からである。最 近は、電話で話をする必要がある場合にも、大抵電子メイルでアポイントメント を取る人がほとんどであり、いきなり電話をかけてくるのはよほどの急用か、さ もなければ...。  N氏の予感は当たった。A出版社の担当編集員のS氏からだった。いつの時代 になっても、新聞とか出版とかの担当者だけはいきなり電話をかけてくる場合が 多い。  最近のメイルシステムは、たいてい、端末機のスイッチを切ってあってもメイ ルが届くとホストが自動的にスイッチを入れる仕組みになっている。スイッチが 入ると自動的に通信ソフトが立ち上がり、立ち上がればまっさきにメイルを受け 付ける。新しいメイルが届くと、必ず例のアラーム音が10秒にわたって鳴り響 くし、画面に表示されるお知らせの中の”メイルボックス欄”は、終始、メイル の到着を知らせるメッセージを表示し続けるようになっている。要するに、対応 できる状態であれば、すぐにメイルその他の方法でコンタクトが可能なはずであ る。  それにもかかわらず、電話でコンタクトしようとするのは、1つは習慣のせい かもしれない。しかし、別の理由があるのかも...。そういえば、A社の雑誌 に寄稿した記事のゲラがそろそろ出来上がるころである。  やはりそうだった。ゲラを送るから、原稿受渡し用の通信ソフトを立ち上げて ほしいというのである。  ほとんどの通信は、汎用の通信ソフトがサポートしている通信手順で間に合う が、中にはその業種専用にカスタマイズされた通信ソフトを利用している場合も ある。出版業もその1つである。ネットワークの利用と言っても、かつては、文 書原稿だけを無手順あるいはプリミティブなエラーチェック手順のもとで、作者 から出版社へ送るなど、一方通行でしか利用されていなかった。挿絵も入れてレ イアウトされたページのイメージを送るのは、当時の技術では難しかったのであ る。  CGの発展と共に、挿絵自体がCGで描かれることが多くなるにつれて、描い た絵を専用プリンターに出力して編集者に郵送し、コンピュータ−が確保した空 白に貼り込むことの不合理さが認識されるようになってきた。高性能なイメージ スキャナーをサポートしたDTP(卓上編集)ツールの普及がこれに輪をかけた。 CGで描かれ、出力された絵を、イメージスキャナーで取り込むという、現在で は考えられないような無駄手間が、どうしてもこれに伴う画質の低下にもかかわ らず行われていたのである。  もうそのころには、ソフトハウス毎に独自に開発してきた画像データ取扱環境 の統一など到底望むべくもない状態だった。出版社は、自社のDTPツールと互 換性のあるCGツールをグラフィックアーチスト(GA)達に提供することでこ れを乗り切ろうとした。ソフトハウスと協力して自分に合ったツール作りに努め てきたGA達は、当然これを受け入れなかった。すったもんだのあげくに登場し た妥協案が、画像データ相互変換ツールだった。各ソフトハウスも、それぞれが 開発した画像データ処理方式を公開し、互換ツールを作成することでは協力し、 また競争もした。いくつかの、機能的に難のある、あるいはソフトは姿を消した が、大部分のソフトは生き残り、互いに他のソフトの長所を取り入れてさらに進 化し続けているらしい。  話を戻そう。要するに校正用の原稿を図版も含めてやりとりするのは、専用通 信ソフトでしか出来ない。専用ソフトで出版社のホストにアクセスしてはじめて 受け取ることが出来る。その代わり、専用ソフトに付属した表示・編集機能で原 稿ファイルを開くと、テキストだけでなく、グラフィックもページイメージとし て表示される。校正やレイアウトチェックには大変便利である。それだけではな い。「校正」モードで編集を行うと、画面上では修正箇所が赤字で表示される。 実に有難い。聞くところによると、これは画面上での表示だけの問題らしい。校 正内容は、実はファイル内の別の場所に保管されていて、校正前の記録にはまっ たく手をつけてないのだという。こうすれば、校正前がどうなっていたかも簡単 にわかるし、変更内容だけを取り出すことも簡単にできるからだそうだ。  それにしても、メイルで「校正を送ったのでよろしく」と伝えるだけで済みそ うなものなのに、どうして電話などかけてきたのだろう。改めて電話で打ち合せ なくてはならない問題などないはずなのに。例によって、発行日を先に決めてカ ウントダウンで仕事を進めているのだろうか?  こうした疑問をS氏に伝えると、彼は答えた。「だって先生、おととい校正依 頼のメイルを出したのに、今日になってもうちにアクセスしてこないんだから。 明日が締切だし、電話でもするしか仕方ないでしょう。いったいどうしたんです か?」  こういわれては、こちらも返す言葉がない。ファイルが送られたのを確認する までは電話を切らないというS氏の言葉に従い、彼からもらった専用端末ソフト を立ち上げるためにコンソールに向かった。  環境は変わっても、編集者魂というやつはそう簡単には変わるものではないら しい。 ====================================== (SIG「化学とコンピュータ」4周年記念文集(1992)より)                N博士の一日                                マサ  朝、研究室にやってきたN博士は、いつものようにデスク脇のスイッチを入れた。 デスクの奥にある壁掛け型ディスプレイが明るくなった。N電気製のケミコン( Chemical Computer)がシステムの状態を一通りチェックした結果を表示した後、学 内LAN(Local Area Network)を経由してGCCU(Global Chemical Computer Union)のネットワークに自動的に接続した。流しの傍らでコーヒーメーカーをセッ トしながら、N博士は横目で画面をチラリと見た。「ふむ、特にトラブルはないよう だな。」と満足そうに心の中で呟く。  短い電子音が鳴った。高音で2度、低音で1度、そして高音で1度。音色と数で新 着メイルの数を知らせている。2進法で下の桁から順に、高音が”1”、低音が”0 ”に対応している。N博士は「11件か。」と呟いただけで振り返りもしない。メイ ル処理プログラムに任せておけば、差出人や緊急度に応じて仕分けして、ケミコン内 のメイルボックスに入れてくれるのである。急ぎのものや処理方法がわからないもの があれば合図してくれるはずなので、合図がなければあとでゆっくり見ればいい。こ のシステムも、使い始めた頃は処理基準が決まっていないものが多くて1つ1つ指示 を出していたが、数年たった今では、新たに処理基準を登録しなければならない差出 人からメイルが来ることはめったにない。しかも大半は目を通す価値のないダイレク トメール(電子メイルの世界でこの言葉が適切とは思えないが、昔からの習慣が今な お残っている)だ。  やがてできあがったコーヒーを入れたカップを片手に、デスクに向かって座ってく つろいでいたN博士だったが、さっきよりは明らかに長い電子音が一回鳴ると、さっ とカップを置いて画面に目を向けた。その頃には、ケミコンの自動プログラムは、G CCUのデータベースシステムに接続して、予め登録してある検索プログラムを実行 させていた。先ほどの電子音は、実行結果が転送されてきて、前回の検索以降に、N 博士の検索プログラムでヒットする資料が登録されていたことを示している。ヒット した資料は、すでに博士のPDB(Personal Data Base)に転送され、仕分けされて いるはずである。  しかし、博士がカップを置いてキーボードに向かったのはヒットしたデータがあっ たからではない。そのうちの1つが、"NegaTips"データベースでヒットしたからであ る。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  後にノーベル賞をもらった故T教授の提唱により、"NegaTips"データベースが、強 力な検索ソフトウエアと共に、GCCUの前身の1つに開設されたのは、もう30年 以上前である。このデータベースの目的はただ1つ。単独でも、何件集めても学術論 文の一部とすることのできないような、いわゆる"Negative"な実験データを集積する ことであった。  開設当初は、それがいったい何の役に立つのか、おそらくT教授以外には誰もわか らなかっただろう。しかし、当時までの教授の共同研究者や教授と面識のある研究者 たちは、日頃温厚なT教授にしては珍しい強い要望に従い、自分達の出した「使えな い」データをせっせとこのデータベースに登録した。教授とは関係がなくコンピュー タの利用に疎い大教授達は冷淡だったが、それでも自分達の配下の大学院生達が、 "NegaTips"に登録することを、遅らせるよう言い含めることはあったかも知れない が、禁じることはなかった。  ごくたまに、T教授自身から"NegaTips"の内容に対するコメントがあり、教授がこ れを逐一参照していることは知られていた。コメントは、実験上の見落としを指摘す る内容のものもあれば、思いがけないサジェッションである場合もあった。ほとんど の場合、T教授の意見に従うと良い結果が得られたが、これについて謝辞を捧げるこ とすら、教授は常に拒否した。しかし、このことが口づてに広まるにつれて、半ばは T教授からのコメントを期待してか、"NegaTips"に登録される件数は次第に増加して 行った。  数年たって、第2〜第4周期元素の化合物の構造と反応に関するT教授の最初の包 括的な論文が公表されると、様相は一変した。その論文では、他の雑誌に掲載された "positive"なデータと共に、"NegaTips"の中から精選された多数の"Negative"データ が、教授の理論を支持する形で、巧みに利用されていたからである。登録のラッシュ が始まった。教授の理論に合うデータ、一見すると反するように見えるデータ、いず れにしても多種多様な"Negative"データが、競って登録されるようになったのであ る。T教授の理論と合わないように見えるデータの多くは、教授の手により実は理論 と矛盾しないことが示された。いくつかのデータは、教授の理論の修正に利用され た。若干の紆余曲折を経て教授の論文の最終版が公表され、その中でこの理論の第5 周期以下への拡張の可能性が示唆される頃には、"Negative" なデータを"NegaTips" に登録するのは、少なくとも教授の理論に関係する分野では、半ば当然のようになっ ていた。  この影響は当然他の分野にも及び、"NegaTips"およびその検索ソフトウエアおよび その類似品は、当時林立していたさまざまのデータベースシステムにさまざまの名前 で移植あるいは構築され、多種多様な利用法が開拓された。後にこれらのデータベー スシステムがGCCUのもとに統合され、世界中から簡単に接続できるようになった とき、"Negative"データのためのデータベースそのものも検索システムもそれまでよ り飛躍的に進歩したものであったが、これに"NegaTips"の名を冠することに反対する 人はいなかった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  学生時代に学んだ「化学情報論」の思い出にしばしふけっていたN博士は、問題の "NegaTips"の内容を取り出してきて、目を通した。中央アフリカのある研究者が登録 したもので、内容は「N博士が最近発表した論文の結論をある反応系に適用してみた ところ、どうしても博士の結論と矛盾する"Negative"な結果しか得られない。」とい うものであった。繰り返し読み返してみて、彼または彼女が、溶媒の選択に関する博 士のコメントを無視しているか見落としていることに気がついた。すぐに博士は、彼 または彼女にあてた電子メイルをしたため、送った。この間にもケミコンは、GCC Uの接続の他にいくつかの自動実行プログラムを並行して遂行している。博士の結論 が正しければ、数カ月後には、"Acknowledge"ボードに、彼または彼女からの謝辞が 掲載されることになるだろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  前にも書いたように、"NegaTips"へのコメントに対する謝辞をT教授がかたくなに 拒否することはよく知られていた。後に多くの人が"NegaTips"を参照するようにな り、必要に応じてコメントするのが事実上研究者としての義務のようになってから も、この習慣は引き継がれた。しかし、コメントを有効に利用させてもらった人のす べてがこれに満足していたわけではない。それどころか、たいていの人は、何らかの 形で謝意を表現できないことを負担に感じてすらいた。  GCCUが設立されてしばらくたった頃、ある若い研究者がこのタブーを巧みな方 法で破ってみせた。GCCUのBBS(Bulletin Board System)で、事実上機能し ていなかったあるボードを利用してこの種の謝辞を掲載することを提案し、自らT教 授に対するいくつかの謝辞をここに掲載したのである。多くの人がただちにこれに従 った。「死んでいた」ボードは、にわかに多数の書き込みでにぎわうようになった。  もし、T教授が早い時期にこれに気がついていたとしら、あらゆる影響力を行使し て、これを止めたことだろう。ところが3つの好運(T教授にとっては不運)がこれ を不可能にした。  第1は、あらゆる人の勧めにもかかわらず、T教授がGCCUの重要なポストに就 くことを拒否したことである。  第2は、それでも多くの重要な決定がなされるに先だって、T教授の意見を聞くの が通例となっていたし、あらゆる提案は、審議に先立って機械的にT教授のもとに送 られるようになっていたはずなのに、この件に限ってこれが行われなかったことであ る。  第3は、BBSの自動検索機能をT教授が一部のボードでしか利用していなかった ことである。GCCUのBBSでは、全ボードについてこの機能を設定できたのだ が、教授はそれを知らなかったのかも知れない。問題のボードにT教授の名前が繰り 返し掲載されたにもかかわらず、教授自身はまったく気付かないでいたのである。  いずれにしてもこれらの不運な偶然(一部は「故意」だったとも言われている)が 重なって、T教授がこのボードのことを知ったのは、このボードが"Acknowledge"と 名付けられ、上記の目的に使われることが正式に決定されて(多くのボードは、正式 決定に先立って公開され、利用されている)からであった。T教授は、あらゆる手段 を講じて自分の意見を無視した決定の不当性を主張したが、「教授はGCCUの利用 者の一人に過ぎない」「他の多くの利用者が支持し、必要としている」という理由の もとに、教授の主張はすべて退けられたのである。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  N博士は、ついでにもう1つのデータベースのヒットを調べてみることにした。そ れは、N博士の書き込みが引用されたことを示すものだった。引用されたのは、 "NegaTips"だった。「"NegaTips"の虫眼鏡か」と博士は苦笑した。今日はよくよく "NegaTips"に縁があるようだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  T教授が、先に書いた理論に関する論文を最初に投稿したのは"J. Union Org. Chem. North America" だった。「世界標準」を自認するこの雑誌は、内容にはまっ たく文句をつけなかったが、唯一「一千件を超える"NegaTips"からの引用をすべてカ ットすること」を条件として示した。これはT教授にとっては従えないことだった。 すったもんだのあげく、T教授は投稿を取り下げ、まったく同一の内容で姉妹誌の "J. Union Org. Chem. Eurasia"に投稿した。かねてから北米の姉妹誌に対抗意識を 燃やしていたこちらは、「肉眼で判読可能な最小の字体で印刷すること」を条件にT 教授の主張を認めた。T教授の論文が"Eurasia"に掲載されるとすぐに、投稿論文の 流れに大きな変動が起こり始めた。  "NegaTips"の引用が認められたことで、これを希望していた多くの人からの投稿が "Eurasia"の方に集中するようになった。"Eurasia"はたちまち質量共に"North America"を逆転し、やがて大きく引き離した。他の多くの雑誌が"Eurasia"にならっ た。これがきっかけとなって、やがて"North America"の編集幹部は全員交代するこ とになった。新任の編集長は、ただちに"NegaTips"の引用を認めるとともに、T教授 に対して過去の不明を詫び、T教授の理論に関する次の論文をぜひ投稿するように依 頼する手紙を送った。T教授の性格から判断して、これを黙殺することはなかっただ ろうが、おそらく丁重な断りの手紙を送ったであろうことは歴史が証明している。  この"NegaTips"の引用が、実際には肉眼ではほとんど判読不可能であり、虫眼鏡で も使わないと読めないほど小さな字で印刷されることから、誰からともなく「"Nega- Tips"の虫眼鏡」という言葉が使われるようになり、現在ではすっかり定着してしま っている。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  ケミコンからの電子音で、N博士は再び我に帰った。タイマーで毎朝自動的に起動 するOrganic Synthesizerの始動準備が、間もなく完了することを知らせるものだっ た。「いつもは、この呼び出しがかかる前に実験室に赴くのだが、、、、」といぶか しく思いながら、N博士は冷めたコーヒーを飲み干し、実験着に着替えて研究室を後 にした。                                    (終) 注:この物語の内容は、すべて空想に基づくものです。 ======================================