「心・技・体」の体

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 こういうタイトルで始めると「精神論」かと思われるかも知れないが、私の精神論嫌いは周知のことだろうし、もちろん精神論を講じるつもりはない。同じ技術を持った相手とのゲームに勝つために必要なのは、勝つための戦略や戦術(心)であり、戦略や戦術を支えるのはそれを実践するための技術(技)であり、ゲームで必要な技術を使えるようにするのはそれを支える体力(体)である。

「心・技・体」の台形構造

 どのスポーツにも共通するこの三つの要素の関係は図1のように表すことができる。(a) は初心者や素人に近い人の典型であり、体力はあるがそれを生かす技術や戦術を身につけていないために、中学時代にある程度経験のある高校生 (b) にも負けてしまう。練習を重ねるにつれて三者が表す形状は三角形に近い形から台形、長方形へと移行する。注意すべきことは、この三者の関係は長方形にまではなっても、(c)のような逆台形になることは決してないという点である。つまり、体力の基盤の上に立たない技術は決して身につかないし、技術の裏付けのない戦術は実行不可能なのである。言い換えれば、高いレベルのプレー、幅の広い技術を身につけようとすればするほど、まずそのレベルや幅に見合った体力を身につける必要があるということである。



 コンスタントに優れた成績を上げる中学校の体育クラブがだいたい決まっているのは、そのクラブの指導者がこのことを経験的に知っているからである。すなわち体力的に十分でない中学校時代にはまず体力づくりに力を入れ、広い底辺を作ることが決定的に重要なのである。これさえ身につければ (a) 、中学校で必要な程度の技術も戦術も容易に身に付けることができるのである。逆に、十分な体力がないままに技術や戦術を身につけても (b) 、すぐに体力の壁にぶつかってしまうので、なかなか十分な技術や戦術を身につけることができないのである。
 技術的なことを教わってもなかなか自分のものにできないため、「自分には素質がない」とあきらめる人もあるようだが、たいていはそうではない場合が多い。その技術を身につけるのに必要な体力が備わっていないために身につかないのである。

体は「体力」

 なぜ体力が必要なのか?「九ゲームは長いから」などという答えが返って来ることが多いが、ここでいう体力は、そういう持久力にとどまるものではない。
 打球前の体の移動一つをとっても、両足の蹴り、足首や膝、腰の筋肉の収縮力、筋肉の収縮に速やかに対応できる腱の丈夫さと柔らかさ、これらがバランス良く鍛えられていてはじめて速やかなスタートと正確なストップが実現できる。打球時も同じである。軸足の踏ん張り、振り出しの腰の回転、インパクトの瞬間に肩、肘、手首、指にかかる衝撃、体重の移動を支える前足の膝および足首、相手の打球が速くなり、自らの返球が速くなるほど、これらの部分にかかる負担は大きい。この負担を支えるのも各部位の筋肉と腱である。そして、最後に忘れてはならないのが、これらの部位の運動を支えている関節や骨格である。これらの筋肉の収縮力、腱および関節の柔らかさと丈夫さ、そして骨格の丈夫さをを総称してここでは体力と呼んでいる。

バランスの重要性

 ほとんどの球技に共通することであるが、全身のさまざまの部位の協調で成り立っているプレーでは、各部位の体力のバランスが重要である。一ヶ所だけが強くても他が弱くては他の部分が支えられる程度のプレーしかできない。
 逆に一ヶ所だけが弱いと、弱い箇所をかばうようなバランスを欠いた不自然なフォームになりがちであり、上達を遅らせ、到達可能なレベルを下げてしまう。かといって、より自然なフォームに矯正しようとすると必然的に弱い箇所に強い負荷がかかることになる。時間をかけて少しずつ強い力を加えるようにすればいいが、、弱い箇所が耐えられないような負荷を与えるプレーを早い時期に繰り返すと、それが原因となって弱い箇所が壊れてしまうことがある。これが「故障」である。
 中学時代からテニスをプレーし続けてきた人であれば、練習その他を通じてテニスに必要な部位はいずれもそれなりに鍛えられてきており、体力的に著しくバランスを欠いている場合はあまり多くない。しかし初心者や、大学までに十分な体力トレーニングを経験していないプレーヤーでは状況が違う。入学までの生活習慣や他のスポーツのプレー経験などの影響により、テニスをずっと続けてきた人とは違った体力バランスが身に付いている場合が少なくない。つまり、テニスに必要な体力の一部は十分に身に付いているが、残りの部分は不十分である。こうした人は、経験者と同じようなトレーニングを行っても、短時間に大学でのテニスに必要な体力バランスを身につけることができるとは限らない。短時間でバランスを身につけるには、不十分な箇所を集中的にトレーニングするのが効果的である。すなわち、初心者や経験の少ないプレーヤーの場合には、弱い部位を見つけだし、集中的に向上させるための筋力トレーニングを取り入れることが極めて有効である。キャプテン等トレーニングを指揮する立場にある者はこのことに注意を払うべきである。これらの人はテニス経験が長い場合が多いが、自分が長い間経験してきた、自分にとって有効なトレーニング方法だけでは十分な効果が上がらない部員がいることを忘れてはならない。

フォームの改良などによる故障に注意

 打球の威力を増したり、コントロールを向上させるためにフォームや体の使い方を改良しようとする場合にも同じことが成り立つ。体力のバランスは矯正前のフォームや体の使い方に対してちょうど適合しているから、新しいものに対しては、必ずしも適合していない場合が多い。部分的なアンバランスが生じているはずである。これが改善されないうちに大きな負荷をかけると、弱い部分が故障する結果となる。
 したがって、フォーム等の改良を始めた場合には、最低二週間は新しいフォーム等に従ってプレーすることだけに専念し、決して全力のプレーを繰り返してはならない。二週間後から少しずつ全力のプレーの頻度を増していき、一ヶ月たってはじめて全力でプレーするようにする。それでもどこかの部位に違和感を感じるようなら、その部分のアンバランスが大きかったということなので、無理はせず、筋力トレーニングなどを取り入れ、その部分を集中的に向上させればよい。そもそも改良されたフォーム等は改良前よりも合理的なはずだから、全力でプレーしなくても改良前に近いレベルのプレーはできるはずである。だからあせる必要はない。

物理的限界と心理的限界

 あらゆる体力には物理的限界と心理的限界がある。筋力を例にとれば物理的限界とは発揮し得る最大の力であり、心理的限界とは「意識的に」発揮できる最大の力である。心理的限界は常に物理的限界を下回っており、前者は後者の70〜80%程度である。
 スポーツマンはスポーツに関連する筋力については物理的限界が高いだけでなく、両者の差も小さいのが普通である。トップクラスのスポーツ選手では心理的限界が物理的限界の95%にも達するという。
 体力トレーニングにあたっては、両者を常に意識している必要がある。両者に差がある場合には、心理的限界を引き上げるのは比較的容易である。苦しいと感じる状況でも歯を食いしばってトレーニングを繰り返すことで、比較的短い時間で心理的限界を引き上げることはできるからである。しかし、心理的限界が物理的限界に近づくにつれて、このようなトレーニングは効果が上がりにくくなる。そこから先は物理的限界を引き上げる必要がある。
 物理的限界を引き上げるにはどうすればいいか?トレーニングももちろん必要である。肉体に不足を感じさせる刺激がなければ何も育たない。しかしそれだけでは限界がある。十分な栄養と休息を取ることにより、筋肉や腱や骨格を育てるための材料を肉体に提供することを忘れてはならない。これらが大きく育てば育つほど、そこから引き出せる力も大きくなるからである。

時間をかけて、方法を考えて

 トレーニングで忘れてはならないことが二つある。第一は、物理的限界を引き上げるには時間がかかるということである。筋肉や腱、骨格などの組織の絶対量を増やす必要があるのだから致し方ない。目に見えて効果を感じるまでに二、三カ月はかかるものと考えなくてはならない。第二は、体力は、負荷をかけなければすぐに低下するということである。テニスで必要とされる以上の胆力をトレーニングで身につけても、テニスを通じて負荷をかけ続けなければ、かかった負荷に対応できるだけの体力しか身に付かないのである。トレーニングで体力をつけたらそれをテニスに生かす。また、生かすためのトレーングをすることが大切である。
 ひとくちに筋力のトレーニングといっても、瞬発力の向上をめざす場合と持久力をつける場合とでは方法が異なる。瞬発力をつけるには、最大筋力の90〜95%の負荷をかけて行う。一セットの繰り返し回数は5回以内である。持久力をつけるには最大筋力の70〜80%の負荷をかけ、ある程度長時間繰り返すのが効果的である。当然のことであるが、この二種類のトレーニングを連続して行うのは良くない。必ず間に十分な時間間隔を置く必要がある。筋力トレーニングでは、複数の異なる運動を組み合わせてセットにしているのはこのためである。負荷をかけた後であれば、休ませていても筋肉は育っているのである。

最後に「精神論」?

 心・技・体の「体」だけで紙数が尽きてしまった。はじめに書いたようにこれがすべての基礎であり、これなしには高い技術も戦術も身につけることはできない。
 さて、最初に精神論は嫌いだと書いたが、それは決して「心」の働きの重要性を無視しているわけではない。ただ、「強い心」「負けじ魂」というのは、決して単に「負けたくない」と思っているだけで育つものではないと考えているだけである。
 これまで述べてきた体力の向上、技術の取得と向上、戦術の向上、これらが「いつか勝てる日が来るために」必要であることを信じ、練習中は一つ一つのプレーを常に上記のいずれかの目的のためであると位置づけ、苦しくても、頭にきても、決して手を抜いたり粗雑なプレーをしないようにすること。これを実践するよう心がければ、「強い心」は自然に育つはずである。時には自分を奮い立たせなくてはならないし、時には感情を抑制することが必要である。人間である限り「完全」は不可能であるが、どれだけ完全に近く実践できたかから「心」の成長の程度を推し量ることができる。このようにして、目的に向けて自分を生かし、育てようと努力する過程を通じて「心」が育つのであり、目的を意識することがなければ、そのために自分を律してなすべきことを実践しようとしなければ、真の「強い心」も「負けじ魂」も決して育つはずがない。

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伊藤眞人:itomasa@t.soka.ac.jp