レポートと筆記試験の違い

 レポートの回答は、筆記試験の回答と大きく異なる点が2つある。
 第一に、時間の制約がない。自分の時間を必要なだけ使って回答に取り組むことができる。
 第二に、資料等の参照に制限がない。自分や友人の本棚から図書室、図書館まで、参考書を参照するのは自由である。最近では、インターネットを使って資料を参照することもできる。さらに、友人、先輩、先生と相談することもできる。(いずれの場合も、情報源が信頼できるかどうかは、自分の責任で判断しなければならない)。
 したがって、正しい資料、正しい情報を参照することができれば、正しい回答に到達できるのは当然である。言い換えれば

レポートは正解できて当たり前

である。
 そうだとすれば、レポートの回答の評価基準は当然ながら試験とは大きく異なる。試験では60%できれば合格であるが、レポートでは60%できただけでは箸にも棒にもかからない。少なくとも90%の完成度が求められる。これがあって初めて60点(合格点)である。そこからどこまで100%に近づくかで評価が決まる。
 レポート試験、実験・実習のレポート、研究室での各種のレポートなど、レポートの完成度が評価の対象となる場合には、この点に十分に注意して、常に完璧なレポートを提出することを目ざすべきである。とは言っても、提出期限がある以上は期限までに提出すべきなのは当然のこと。最後は、期限までにどれだけ完璧に近づけたかが評価されるのだと割り切って、少々遠かろうと提出するしかないのである。

自分の努力と参照した資料の理解度が評価対象となる演習レポート

 「有機化学」の日々の演習レポートの場合には、理解力と問題解決能力を育てるのが目的なので、できるだけ自分で努力することが求められる。その上で教科書等を参考にしたり、他人と相談したりすることは望ましいが、それはあくまで上記の目的に添った形で、他人や資料から学んだ内容を自分で理解する努力が求められる。他人(教科書)の回答の丸写しが望ましくないのは、理解していないで写しただけでは意味をなさないからである。
 この種のレポートでは、よほど見当違いでない限り、「間違える」ことにより評価が影響されることはない。間違えることは正しい理解への第一歩だからである。間違いを指摘されて返却されたレポートが、さらに理解を深めることの動因となるからである。逆に、他の回答を理解しないまま丸写ししても、その結果は最終的には試験の得点に現れてくる。だから、この種のレポートでは、正解を回答できているかどうかはそれほど気にすることはない。

 しかし、「わかりません」と回答するのはこれとは訳が違う。これは次の2つの場合のいずれかと見なされる。

(1)理解しようとする意志がない。
    正解はわからなくても、理解しようとしていれば、次の(2)の場合を除いて、何らかの回答は書けるはずである。

(2)理解できるだけのバックグランドがない。
    その科目を履修する準備がまだできていないこと自ら認めることである。

 いずれの場合にも、その科目の単位を修得をする資格がないことを自分から示しているようなものである。こうした態度を繰り返していると、単位を修得する意志がないと見なされても仕方がない。
 すなわち、この種のレポートでは、間違うことは仕方がないと見なされるが、「わからない」という回答は禁句なのである。

 「わからない」点があっても構わないのが予習レポート

 一方、「有機化学」の予習レポートのように、限られた範囲の予習をして、理解できない語句や項目を報告する場合には、この限りではない。この段階では「わからない点を具体的にすること」ができればそれで十分だからである。
 この場合でも、書かれている内容を理解しようと努めているかどうかはレポートに描かれる内容に現れてくるので、ただ一読しただけでわからない項目を列挙するような予習にならないよう、理解する努力、理解できない点を明確に具体化する努力が望まれる。